論争の中で
使徒の働き15章1節~11節
[1]序
今回は使徒の働き15章へ進み、1~11節を味わいます。パウロやバルナバが宣教旅行から戻り、アンテオケ教会の兄弟姉妹との交わりを持てたことは大きな慰めでした(14章28節)。彼らは母教会で「主のみことばを教え、宣べ伝えた」(15章35節)のです。それは困難があったとしても、平安に満たされたものでした。
しかしアンテオケ教会での平安は、長くは続きません。15章1節に、ルカは新しい事態を報じています。パウロやバルナバ、そしてアンテオケ教会は、福音の教えをめぐる戦いに立ち向かわざるを得ないのです。外部からの迫害は、確かに激しいものでした。しかしパウロたちは初めから覚悟ができていました。今や別の厳しい戦いに直面するのです。
[2]アンテオケ教会での激しい対立と論争
(1)発端
アンテオケ教会が直面した危機の発端は、1節にある通りです。なぜどのような発端と経過で、このような事態になったのか事実を判断することが求められます。ある人々が、エルサレムの使徒たちから何も指示を受けないのに(15章24節)、勝手にアンテオケに来て、異邦人も必ず割礼を受ける必要がある、その後初めて主イエスを信じ救われると主張しました。主イエスを信じることを否定してはいませんが、それだけでは十分ではなく、自分の業で救いを獲得しようとします。
(2)激しい対立と論争
パウロとバルナバは、主イエスの恵みのみによって救われる福音の中心をゆがめる主張に対し黙することはできません。教会の一致は、主イエスの恵みに基づく一致です。教会が寄って立つ基盤を否定する動きを黙認して、教会の一致を保つことはできないのです。福音の中心にかかわる攻撃は危険です。パウロとバルナバは、この福音の中心をめぐる戦いを進めます。
[3]適切な処置
(1)教会会議の道
アンテオケ教会が直面した戦いは、単にアンテオケ教会だけにかかわるものではないのです。いずれの地にあっても、教会は主イエスの恵みによってのみ立ちます。アンテオケ教会は、彼らが直面している戦いをエルサレム教会との共同の課題として受け止めます。パウロとバルナバ、そしてアンテオケ教会から幾人かの代表をエルサレムに送り、公同の場で論ずる道を選択します。教会の代表者たちが公式な会議を持ち、神のことばに基づき、いつでもどこでも地域を越え課題となる信仰の基本的問題を時間をかけ、慎重に判断して行きます。
(2)問題のみでなく
パウロの一行は、シリヤのアンテオケからエルサレムに陸路を選びます。フェニキヤとサマリヤを通過し、それぞれの地方に誕生し歩みを進めている諸教会に彼らを通して神が異邦人の間でなしてくださった救いの御業を報告したのです。諸教会はこの報告を聞き、喜びに満たされました。
パウロの一行がエルサレムに着くと、エルサレム教会全体と使徒たちと長老たちは一行を大歓迎します。パウロたちは、「神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告し」、すべての栄光を主なる神ご自身に帰したのです。
パウロの一行は大きな問題を背負いエルサレムに来たのです。しかしパウロは問題のみを見ているのではない。問題のみに心が奪われるのではなく、主なる神が異邦人の間で押し進めておられる恵みの御業をしっかりと見定め、正しく人々に伝え、共に喜び、主なる神を賛美しています。
5節以下では、アンテオケで問題になっていたことが直接取り上げられていく様を見ます。
[4]結び
外からの迫害と共に、アンテオケ教会は福音そのものにかかわる戦いに直面します。その戦いは、孤立した戦いではなく、諸教会全体として取り上げられています。しかも問題のみを見るのでなく、同時に神の恵みをしっかり見定め、心満たされながらことにあたります。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。