【CJC=東京】教皇フランシスコは10月4日、自らの名前の由来となったイタリアの守護聖人フランチェスコ(フランシスコのイタリア語読み)の生誕地ウンブリア州アッシジを就任後初めて司牧訪問した。同日は典礼暦で「アッシジの聖フランシスコ」を記念した日。ローマ北方約100キロにあるアッシジには、これまで歴代教皇が巡礼しているが、聖フランシスコにちなんだ名を持つ教皇が同地を訪れるのは今回が初めて。
バチカン放送(日本語電子版)などによると、バチカン(ローマ教皇庁)をヘリコプターで出発した教皇はアッシジ到着直後の7時20分、まず障害者リハビリテーション・センター「インスティトゥート・セラフィコ」を訪問。施設付属の教会で関係者と会見した。
同センターは1871年、フランシスコ会士、福者ロドヴィコ・ダ・カソリア神父によって、視聴覚障害を持つ子どもたちのために創立された。現在では、視聴覚障害をはじめ複数の障害を持つ子どもたちの診断・リハビリ・社会福祉支援を行なう施設。教皇は、センターでリハビリ治療を受けている子どもたちとその両親ら、一人ひとりに祝福を与え、医療関係者を励ました。
教皇は続いて8時15分、サン・ダミアノ教会へ巡礼し、祈りを捧げた。サン・ダミアノ教会は、フランシスコが十字架のキリストを前に祈っていた時、「行って、わたしの家を建て直しなさい」というキリストの声を聞いた所。フランシスコはこの教会を修理し、修道生活の場とした。また、フランシスコは死の2年前、ここで「太陽の賛歌」を作っている。
20分後、教皇はサンタ・マリア・マッジョーレ教会の近くにある大司教館で、カリタス関係者とカリタスの支援を受けている人々と会見した。教皇はこの席で、教会もまたフランシスコのように脱衣するように呼びかけたいと述べ、教会が脱ぎ捨てるべきものは「世俗的な虚飾」であると強調した。
若いフランシスコが世俗を脱ぎ捨てることができたのは、自分の力ではなく、神の力があったからであると述べた教皇は、主がわたしたちにこの世の虚栄を脱ぎ去る勇気を与えてくださるようにと祈った。
教皇はこの後、聖フランシスコ大聖堂へ向かい、「コンベンツアル聖フランシスコ修道会」関係者に迎えられ9時30分、上部バシリカから入堂、下部バシリカのクリプタ(地下礼拝堂)にある聖フランシスコの墓に降りた。教皇は墓前に黄と白の薔薇の小さな花束を捧げ、沈黙のうちに祈った。
この後10時に、教皇は下部バシリカ前の広場でミサを捧げた。イタリアの保護者である同聖人を教皇と共に祝うために、地元ウンブリア州をはじめイタリア全土からおよそ5万人がミサに参加した。
「平和と善が皆さんにありますように」。教皇はフランシスコの精神を表すこの挨拶をもって説教を始め、「貧しい人々への愛」と「貧しいキリストに倣うこと」が分かちがたく一致したフランシスコの生涯を想起し、「今日の世界に同聖人が証しするものとは何か」を問う中で、三つのメッセージと祈りを提示した。
教皇は、フランシスコの第1の基本的メッセージは、「キリスト者であるとは、イエスと生きた関係を持ち、イエスを身にまとい、イエスと似た者となること」であると強調した。
第2のメッセージとして教皇は、「キリストに従う者は、真の平和を得る」ことを示した。ただしその真の平和とは、この世ではなく、キリストのみが与えることができるものであり、フランシスコの平和とは甘い感傷でも、宇宙の力による一種の汎神論的な調和でもないと教皇は注意を促した。
教皇は聖フランシスコの第3のメッセージに、「神が造られたすべてのものに対する尊重」を挙げ、「自然を尊重し、わたしたちがその破壊の道具となることがないように」、「すべての人を尊重し、流血の闘争を止め、憎しみのあるところに愛を、侮辱に赦しを、分裂に一致を」、「シリアや中東、全世界で、暴力のために泣き、苦しみ、死んでいく人々の叫びに耳を傾けよう」と呼びかけた。
11時40分、教皇はカリタス会議場へ向かい、ドメニコ・ソレンティーノ大司教や貧困者と昼食を共にした。昼食後、教皇は、フランシスコが洗礼を受けたとされるサン・ルフィノ聖堂へ向かい、聖職者や宗教者ほか教区代表と会見した。
教皇は参会者に、それぞれが受洗した日を想起するよう勧め、教会は改宗によってではなく、魅力を通じて成長するのだ、と語った。そして説教が長たらしく、退屈で解りにくいことがある、と指摘した。また親は神の言葉を、子どもに見本として示すように語らなければならない、と語った。またカテキストの心は、子どもたちの心を燃え立たすような熱のこもったものであれ、と激励した。夫婦は常に許し合い、けんかしたままベッドに入ってはならないとさとした。
教皇はその後、サンタ・キアラ聖堂、リヴォトルト聖堂などを訪問、18時30分、アッシジからバチカンに向け出発、約7時間の巡礼を終え、サンタ・マルタ宿舎に戻った。