【CJC=東京】教皇フランシスコは、所属する修道会イエズス会がイタリアで発行する雑誌「チビルタ・カットリカ」とのインタビューに応じた。同誌は9月19日発売されたが、同時に各国のイエズス会系雑誌にも翻訳が掲載された。
誌上では30ページを超えたインタビュー、質問は多方面にわたった。
教皇は、教会が何よりも「傷を癒やせる」存在でなければならず、教会が認めていない行為に対しても、より深い同情と理解を示すべきだと指摘、「教会は、心狭い取り決めにこだわるべきではない」と述べた。
「異なる意見への非難を超え、思いやりを強調すべきだ」とし、社会的に対立のある問題でより柔軟な姿勢をとる考えを示した。
「常に個人個人のことを心に留めておく必要がある」と強調した。
教会を「野戦病院」のようなものとたとえ、教皇は、「重傷を負った人に、コレステロール値や血糖値を尋ねても無駄だ。まず傷を癒やすべきだ」との比喩を用いて、細かい規則にとらわれるより、救いを求める人に慈愛の心で接することが重要だと指摘。その上で、「規則と慈愛の間に新たなバランスを見つけなければ、カトリック教会の全道徳体系がトランプで作った家のように崩れ去ってしまう恐れがある」と述べた。
自身のことを聞かれた教皇は、文学、絵画、映画、音楽について語った。ドストエフスキー、フリードリヒ・ヘルダーリン、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、セルバンテス、カラヴァッジョ、シャガールなどの名も出た。さらにフェリーニの映画「ラ・ストラーダ」(道)、ロッセリーニ、デンマーク映画「バベットの晩餐会」についても語り、モーツァルト、ワグナーの四部作にも触れた。粗暴な旅芸人と無知で純粋な女性との悲しい関係を描いた「ラ・ストラーダ」について「自分と映画を重ね合わせてしまう」と述べた。
教皇は、率直に自らを「一人の罪人」と語っている。「最も正確な定義だ。比喩的な表現ではなく、文字通りだ。わたしは罪人だ」と言う。
インタビューの最後で、教皇は、「過去や予想出来る将来に神を求めようとする誘惑」について語り、「神は過去において確かに存在していた。なぜなら、その足跡を見ることができるからだ。そして神は将来に、約束として存在する。しかし『実在』の神は、言ってみれば、今日存在する。それだから、不満を言うことは、神を見出す助けには決してならない。『粗野な』世界についての今日の不満は、教会の中に、防衛策として、純粋保守の感覚で秩序を設けたいという欲望を生み出すことになってしまう。そうではない。神は今日の世界に向き合っておられるのだ」と語った。
インタビューは、「チビルタ・カットリカ」、英国の「シンキング・フェイス」、米国の「アメリカ」など3誌の要請によるもので、「チビルタ・カットリカ」誌編集長アントニオ・スパダロ神父がこの8月、教皇の居宅「カーサ・サンタ・マルタ」で3回、延べ6時間行った。
各誌のスタッフが用意した質問をスパダロ神父に送り、同神父がそれをまとめて、教皇にインタビューした。
インタビューはイタリア語で行われ、記録が公式に認められて、5人の専門家が英語に翻訳、それを「シンキング・フェイス」と「アメリカ」は掲載した。