2年生の2学期のことだった。学院には強制自習の時間があり、全学生教室に集まり、舎監の監督の下で過ごすことになっていた。その夜は、軽井沢のキャンプ場へ招いてくれた村田牧師が、自習している教室に入ってきた。「みなさんは、院長に話したいことがあるはずです。けれどもクート先生はイギリス人ですから、直接は言い難いと思います。私がよく話しますから、不満や要求があったら話してください。今夜は自習をやめて話し合いの時間にします」ということだった。
だれにでも不満はあり、言いたいこともたくさんあると思ったが、先輩たちは何も言わないし、学年長も黙っている。同級生も後輩も沈黙している。
自分は純粋に受け取ったつもりで、私が口火を切ってしまった。聖書をもっと知りたい、英語もギリシャ語もヘブル語も、教養的なことも、釈義学も考古学も、組織神学も歴史も、説教学も牧会学もと、次々にまくし立てた。普段はあまりしゃべらないが、共産主義の父に育てられ、議論することも知っていたし、論理的にも少しは鍛えられている。ただ話さないだけ、どうでもよいことはどうでもよいからむだ口を叩かないだけで、本質は厳しい自分が、突然目覚めてしまったのだ。
そう言えば、中学3年生の時、英語の授業が面白くなくて、倉庫に3日間も閉じこもって、教師や担任を手こずらせ、校長先生まで引っぱりだしたこともあった。クリスチャンになり、平和が心を支配し、感謝に満ちていたはずなのに、いっきょに不満が爆発してしまったのだ。そして、自分では思っていなくても、日ごろ学生同士で話していることまで、何もかもぶちまけてしまった。
何でも話せと言われたので、本音で話したつもりだったが、翌日から学院は大騒ぎになってしまった。
朝のチャペルの時間、クート院長は突然「今日からこの学院を閉鎖します。授業はありません。外出も禁止します。集会にも行かなくてよい。食事だけは用意するが、なぜこのような処置をするか、祈ってよく考えなさい。聖書に示されたら悔い改めなさい。悔い改めができた人はいらっしゃい。赦してあげます。義之は学院を辞めなさい。あなたがやめなければ、私が辞めます。以上」と言った。そしてそれだけ言うと、恐ろしい顔で私をにらみつけて出ていった。
チャペルは騒然となった。私一人が何が何だか分からず、平然としていた。みんなの視線は気になったが、何が起こったのか分からないので、チャペルを出て食事をし、久しぶりに聖書をゆっくり読めると喜んでさえいた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。