【CJC=東京】8月14日、反キリスト者暴行の波がエジプト全土に波及、少なくとも死者5人を出し、破壊された教会も30を超える事態になった。さらに教会襲撃の波は巨大化している。2011年に民主的に選任されたムスリム同胞団のムハンマド・モルシ大統領が7月3日に軍によって追放されて以来、暴力行為の続発に直面しているキリスト者共同体が、恐怖に取り付かれていることは確かだ。
モルシ大統領支持者たちの狙いが、エジプトでキリスト者であることを侮辱的だとしてコプト教徒を締め出そうとしていることにあるとも見られる。
18日には、南部ミニヤの「処女マリアと僧イブラム修道院」が襲撃された。そこの教会では1600年も続けてきたミサを守れない事態にまでなった。
襲撃したのは、ムスリム同胞団関係者と見られている。同修道院の僧セルワネス・ロッフィは、襲撃者の1人が、壁に「殉教者のモスクに」と書き付けていた、と語っている。
コプト派キリスト者は現在、エジプト総人口の10~12%を占めている。世界最古のキリスト教会の信徒と見なされている。
そのキリスト者がここへ来て、ムスリム同胞団に狙い撃ちされるのは、モルシ氏追放の黒幕と見なされているためのようだ。
カイロ近郊にある修道会フランシスコ会運営の学校が襲撃された際、暴徒は、門の十字架をはぎ取り、黒いバナーを貼り付けた。修道女は街頭を捕虜のように行進させられた。学校側は、イスラム教徒の生徒にキリスト教への改宗を強要した、と非難されていた。
強制改宗への非難は新しいことではない。1930年代初期にも、反宣教師行動が燃え上がった。エジプト民衆は、カトリックやプロテスタントの宣教師が生徒を改宗させようとしているのを見て激怒した。
ムスリム同胞団が1928年設立されるのに、強制改宗問題が一定の役割を果たしたと見られる。1920年代末から30年代初めにかけて、同胞団は団員を増やし、「キリスト教宣教師反対に立ち上がらなければならない」と人々に呼び掛けた。しかし当時は教会への暴行は認められなかった。
現在、エジプトでキリスト者であることを侮辱だとしてキリスト者を締め出そうとの動きは、コプト教会に限らず、エジプトにあるプロテスタント、カトリック、ギリシャ正教の教会も対象にしている。
「戦士」たちは、2001年のアフガニスタンで古代の仏像を破壊したタリバンと似た虚無的な精神を持っているようだ。いつの時代にもある反ユダヤ宣伝のような有毒な論理が支配している。
ただ、モルシ大統領反対に動くよう軍にうながした大規模デモをコプト教徒が支持したことは確か。アブデル・ファタハ・アル=シシ将軍がモルシ排除を発表した時、傍らにいた10人以上の各界指導者の中に教皇タワドロス2世の姿もあった。しかしキリスト者は、幅広い層の反モルシ騒乱の際に決定的な存在ではなかった。
それにもかかわらずイスラム主義者は、コプト派キリスト者を一連の事態の背後で策動している、と描いている。
歴史的には、キリスト者は何世紀も前から存在していたのに、イスラム主義者は、コプト派キリスト者を敵対勢力、国を破滅させようと活動する「第五列」と描き出そうとしている。イスラム主義者にとって、進行中の「虐殺」は、短期的には市民感情を激化させ、長期的にはキリスト者の国を浄化することにつながる。
新刊『マザーランド・ロスト』(失われた母国)の著者で、自らコプト教徒でもある、米ハドソン研究所のサム・タドロスによると、今回のようなことは1321年以来だ。当時はやはり教会焼き討ちがあり、それが何世紀にもわたる激しい抑圧期の合図だった。その結果、エジプト人口の過半数を占めていたコプト派キリスト者共同体は現在の1割にまで減少したのだ。
キリスト者は、最後には、かつてエジプトにいたユダヤ人の運命を追体験することになるかもしれない。ユダヤ人はエジプトに第二次大戦直後には8万人存在していたが、今では文字通り少数だ。
ムスリム同胞団支配が続くとなると、コプト派キリスト者の保護に関心を示す政権は、軍を含め、まずないだろう。コプト教徒がエジプトを脱出するとなると、世界に与える影響は大きい。それは、キリスト教が生まれた場所から消滅することだ。
エジプトは、使徒たちが歩き回り、イエス・キリストのその母が避難した場所だった。