主イエスについて行く
ルカの福音書18章31~43節
[1]序
今回はルカの福音書18章最後の部分、31節から43節までを味わいます。最初に31節から34節まで、次に35節から43節と二つの部分に分けて。
[2]受難の預言(31~34節)
(1)旧約聖書の預言の通りに
「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです」(31節、参照22章22節、22章37節)。
(2)主イエスの十字架に異邦人(直接にはローマ人)も参与(32節)
反ユダヤ主義の人々が曲解するように単にユダヤ人だけの責任などとは言えない。
(3)弟子たちの無理解(34節)
このような弟子たちが、主イエスの復活の証人に変えられ、主イエスの十字架を宣べ伝えるようになったのは、復活なさった主イエスの御業の故(参照24章45節)、また聖霊ご自身の助けと導きによる(使徒の働きに見るように)。
[3]「神をあがめながらイエスについて行った」(35~43節)
(1)ある盲人
①主イエスに出会う前の状態(35節)。
②積極的に尋ねる(36節)。
③心よりの求め、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」(39節)。
(2)人々の無理解
「彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます『ダビデの子よ。私をあわれんでください』と叫び立てた」(39節)。主イエスをメシア称号をもって呼び続け、深い信頼を示す。
(3)主イエス
①盲人を招く(40節)。
②盲人に尋ねる(41節)。
③盲人に宣言、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」(42節、参照7章50節、8章48節、17章19節)。参照イザヤ35章5節。
(4)目が見え、直された者としての歩み(43節)
①「神をあがめながらイエスについて行った」
②「これを見て民はみな神を賛美した」
[4]結び
(1)18章18節から30節を通し明らかにされている、「人にはできないことが、神にはできる」(27節)救いと主イエスの十字架。
(2)主イエスのあわれみを求める信仰。
(3)主イエスのあわれみを受けた者として、主イエスに従う歩み。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。