自分の十字架を負って
ルカの福音書14章25~35節
[1]序
ルカの福音書14章1節から24節の箇所では、主イエスにある神の招きについて教えられました。今回味わう25節以下では、その招きにどのように従うべきかに焦点を合わしています。
[2]「自分の十字架を負って」(25~27節)
(1)「憎まない者は」の意味
①家族に対する態度についての聖書の教え、出エジプト記20章の十戒、エペソ5章21節以下に見る家族の間で持つべき態度についての教え。すべての人間関係は、「主にあって」の基盤のもとに。
②第一のものを第一に。そのことを通して第二以下についても本来の秩序が与えられる。
(2)「自分の十字架を負って」(27節)
①「自分の」が急所
それぞれ個人的に与えられている使命。誰一人他の人を必要とせず、すべてのことを自分ひとりでなすことなどできないし、誰一人何の役割もない者もいない。
②「十字架を負って」
主イエスの道が主イエスの弟子の道を示す。
③「弟子」
[3]二つのたとえ
(1)「塔を築こうとするとき」(28~30節)
「完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算」(28節)。建て始めたら完成する必要。
(2)「どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは」(31~33節)
①「まずすわって、考え」
②二つのたとえのポイントとしての33節、主イエスの弟子の道
「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません」。マタイ6章24節。
[4]結び
塩が塩けをなくしたらとの警告。マタイ5章15節、マルコ9章50節参照。主イエスの弟子(主イエスに聞き従う者、イザヤ50章4節参照)としての道を歩む者への励ましと警告。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。