その良いほうを
ルカの福音書10章38~42節
[1]序
今回は10章38~42節。25節から37節ではっきり教えられた行為の貴さを忘れずに、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入」(39節)る恵みを心に刻みつけて頂きたいのです。
27節の後半、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」について、前回の箇所で詳しく教えられました。前半、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」については、今回の箇所で鋭く示されています。
[2]マルタとマリヤ
ヨハネの福音書11章1節以下、12章1~8節参照。
(1)マルタ
①38節、旅人を客としてもてなすマルタの姿。参照ヘブル13章2節、創世記18章3節、19章2節。
②40節で、再びマルタについて。
(2)マリヤ
熱心に主イエスに聞く。
[3]主イエスのことば
(1)マルタに対して
「マルタ、マルタ」(41節)、主イエスの同情に満ちた思いが暗示されています。
(2)マリヤに対して
女性が主イエスに聞き学ぶことを励ます。
「差し迫って必要なものは、たった一つ・・・イエスの御言葉に向けて開かれた耳・・・イエスには、この開かれた耳が必要・・・イエスの御言葉が、信仰と服従によって受け入れられ、・・・マリヤは、イエスの御言葉をむさぼり聞いた。それはいつまでも残る。彼女の永遠の財産である。・・・私たちが彼(主イエス)の御言葉を聞き、彼に信頼するなら、それによって彼に仕えるのであると、私たちに教えさとす」(A・シュッラッタ-)
[4]結び
(1)主イエスは、女性に対して単に家事に従事するだけでなく、ご自身のことばに聞くことに専念するよう励ましておられます。当時の背景を考えると、主イエスが女性の学び、専門職への進出を励ましておられることは明らか。
(2)「何ともお思いにならないのでしょうか」(40節、参照マルコ4章38節、ヨハネ10章13節、『首里福音』274号、2、3ページ)。マルタは、主イエスとマリヤの個人的な関係に割り入ってはならない。主イエスと他の人との関係に対して慎みの態度が必要。参照ヨハネ21章18~22節、ロマ14章1~4節。
(3)「良いほう」とは主イエスの教え。
「一つ」の大切さ。
【ヒリピ3章12節】私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
ルカ15章の三つのたとえ。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。