弟子たちのほうに向いて
ルカの福音書10章22~24節
[1]序
前回、私たちはルカの福音書10章17~21節の箇所を、17~20節(主イエスの弟子たちへの言葉)と21節(主イエスの御父への言葉)に分け味わいました。今回も主イエスの御父への言葉(22節)と弟子たちへの言葉(23、24節)に分け味わいます。
[2]「わたしの父」(22節)
(1)「子がだれであるかは、父のほかには知るものがありません」
(2)「また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません」
①(1)と(2)の言い方は同じ
主イエスはご自身を父なる神と同じ位置に置いておられます。つまりご自身を神と意識し、そのように教えておられます。聖書はこの点をはっきり伝えています。ヨハネの福音書20章17節参照。
②「子が父を知らせようと心に定めた人たち」とは、弟子たち、そしてキリスト者・教会のこと
その一番の使命は、父なる神を知ること。しかもその立場は、主イエスご自身が「心に定め」てくださった事実に源があるのです。全く一方的な恵みなのです。この神の恵みを無にしないことこそ弟子の道、キリスト者・教会の進むべき道です。
(3)「すべてのものが」
主イエスと父なる神の無比の関係。主イエスと人間の恵みの関係。それだけではないのです。主イエスと「すべてのもの」・万物の関係。
基本聖句
マタイの福音書28章16~20節
ヨハネの福音書1章1~5節
コロサイ人への手紙は、特に万物の統治者としての主イエス
[3]「弟子たちのほうに向いて」(23、24節)
主イエスは御父に祈られているばかりでなく、弟子たちのほうに向かわれお話しくださるのです。
(1)「あなたがたの見ていること」
(2)「多くの預言者や王たち」と「あなたがた」
[4]結び
(1)「あなたがたの見ていること」「あなたがたの聞いていること」→主イエスご自身
①主イエスご自身のご自身についての自覚
②主イエスのご自身についての教え
③弟子たちの主イエスご自身についての理解
その中心は、御、御子、御霊なる神。
主イエスと私たち(人間、キリスト者・教会)。
主イエスと万物・宇宙、コロサイ3章11節参照。
(2)「幸い」(23節)
私とは何か、「幸い」な者としての自覚。詩篇1篇、8篇。
(3)私たちは幸いなものとして、この幸い(「福音」)を家族、友人、知人に伝える。祈りつつ一歩一歩前進させていただきましょう。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。