二年生の夏が来た。学院は休暇中は院内に居住することが許可されず、自分で伝道期間をすごさなければらない。故郷は遠く、母教会にも受け入れてもらえない。祈った時ふと、種子島でバプテスマを授けてもらった牧師が、対馬でヨット伝道をしている姿を、写真入で紹介した記事を思い出した。ここだと確信して手紙を書いたが、待てど暮らせど返事はない。夏期休暇も目の前に迫り、困り果てていたら、時々クート師の通訳や講義に来ていた村田牧師が招いてくれた。軽井沢のキャンプ場を手伝わないかというのである。
夏の間、白樺やカラマツの中で過ごし、浅間山に登ったり、島崎藤村の「千曲川旅情の詩」を口ずさみながら、時間を見つけては散策したり、無許可でバイクを乗り回したり、楽しい夏休みを過ごすことができた。もちろん遊んでばかりいたのではない。キャンプ場の炊事係りや雑用をし、朝も昼も夜もジャガイモの皮むきと、涙を流しながらタマネギ刻みに精を出した。
そのキャンプ場で、アッセンブリーの白石禎男牧師に会い、東京へ出てくることがあったらいつでも訪ねるよう言われた。そのときはそのことばに甘えることになろうとは、考えもしなかった。
十月になり、ボブ・ピアス・クルセードが東京で開催されることになり、三年生は参加してよいという許可が出た。二年生には許可が出なかったので、院長に直談判したら、自分で交通費、宿泊費すべてを準備できれば参加してよいとの許しがやっと出た。
許可を勝ち取ったまではよかったが、文なしでどこにも頼れない。四方八方ふさがり、途方に暮れた。東京へ行けると喜んでいる同級生を見ると、お金がないのが悔しい。必死で祈った。何とか各駅停車で東京まで行く旅費は工面できたが、食事代も宿泊費もない。そこで白石牧師に手紙を書くと、泊めてくれるという返事が来た。しかし会場で待ち合わせをしていたのに、何千人もの会衆の中では会うことができず、電話をかける知恵もなく、一晩中皇居の周りを歩き続け、警察に不振がられた。しかし、お金がなく歩いている神学生だと分かると、同情して交番で熱いお茶を飲ませてくれた。三十七年後にその交番を訪ね、若いお巡りさんにお礼を言ったら、不思議そうな顔をしながらも喜んでくれた。
翌日、白石牧師は心配して会場中を捜してくれ、その夜から品川ベテル教会にお世話になった。そのうえセミナー費まで出してもらい、牧師研修会にも参加できた。
学院の生活は楽しかった。生駒聖書学院は荒野だとよく聞いたが、荒野ではなくエデンの園のようだった。食事も寮も完備している。自分で大根の葉っぱを買って、自炊しながら高校へかよっていたころに比べると、天国みたいだなと思った。ただ献身者は男女交際がご法度なので、ガールフレンドたちには手紙を出さないように全部断った。それでも自分はすべてを捨てて神に従ったのだという深い感謝があった。そしてあれだけ好きだった本も読まず、ただひたすら聖書を読み続けた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。