愛さずにはいられなくなる
私たちの人生には、いつか終着駅―死が厳然とやってきます。そして死後、神の前にさばきを受けることになっています。その時、神様は、「あなたは欠点だらけだから、駄目人間だ」と言ってさばくことはなさいません。
「あなたは、どれだけ財産を作り、業績を残してきたか」とも問われません。
「あなたは、この地上でどれだけ神を愛し、どれだけ多くの人々を自分を愛するように愛し抜いてきたか」とだけ問われます。愛だけが永遠に残るからです。
この世で、最も価値ある偉大な人生とは、犠牲を払って神を愛し、自分を愛するように人を愛し抜く人生です。この神の愛に燃え立った時、魂の滅びていく人々を黙殺することはできません。全身全霊を傾けて、神の救いを伝えずにはいられなくなります。
この世の片隅で、誰からも鼻つまみ者にされて見捨てられ、悩み、悲しみ、不治の病のどん底でうめき、自殺寸前にまで追い詰められ、あるいは罪の泥沼から這い上がることのできない人たち。彼らは皆、イエス様の変身なさった姿なのです。その背後にイエス様がおられるのです。イエス様が、こう仰るからです。
「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25・40)
イエス様は、こうも言われました。
「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる」(イザヤ58・10)
彼らに、温かい言葉を掛けて励ます勇気や愛を持っていない人は、神様にこう祈り求めればいいです。
―主よ。あなたの愛を私に下さい。そして彼らにその愛を分けることができるようにして下さい―
私は、渇き傷付いた魂に出会い、その声なき叫びを聞く度に、腹の底から愛が泉のように滾々と湧き上がってきます。熱い涙がこみ上げてくるのです。それがエネルギーとなって、爆発的に噴き出し、燃え上がってきて、愛さずにはいられなくなります。これが、聖霊に満たされるということです。この愛が、渇いている人々に向かって注がれていき、人々を癒やします。
この愛に満たされると、キリストの思い(御心)が、その燃える愛が、私の魂を占領してしまいます。そして、キリストの思いが私の思いとなり、キリストの行いが私の行いになってしまいます。この愛が山谷伝道を続ける原動力となり、そこに神の栄光が現れました。
しかしこの愛は、生まれながらの人間は持つことができません。イエス様を信じ、心に復活の命を宿らせない限りは、無理です。生まれながらの人間は、「嘘を言ってはいけません」とか「人を愛しなさい」というような律法、建て前で自分を縛り、何とか努力してそれを守ろうとします。しかし道端で倒れている浮浪者を見掛けると、ああ汚い、臭いと思って、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまいます。それが本音です。
ところが、イエス様を信じて洗礼を受けると、信じる者に与えられる聖霊の賜物=イエス様の愛の命によって、彼らを愛さずにいられなくなり、抱き締めたいほどの思いになります。たとえ相手がどんなに迫害しようと、可愛くて可愛くて仕方がなくなります。彼らもまた、イエス様が身代わりに十字架にかかって、命を捨てられるまで愛された人たちなのですから。これが、キリストの愛です。人間は、どんなに努力してもこの愛を生み出すことはできません。
紀元一世紀頃、ハンセン病は今日と違って不治の伝染病とみなされ、患者たちは家族からも世間からも隔離されて、谷底のような土地で群を作って、辛うじて息を繋いでいました。孤独と絶望。生まれなければ良かったと言うしかない、死を待つばかりの日々でした。
イエス様は、そのような彼らを捜し出して、感染を恐れず、その病める体に手を当てて、「清くなりなさい」と宣言されました。その瞬間、彼らは癒やされました。ここに、神の愛があります。イエス様は、このような愛を示して「互いに愛し合いなさい」と言われました。口先だけの愛や、単なる同情、溺愛ではありません。そんな類のものは、人を救うことはできません。むしろ人を弱め、自己憐憫に陥らせるだけです。
本当の愛は、溺れる者を救おうとして、自分が泳げるかどうか考える暇もなく、激流に飛び込む愛です。一歩間違えば、相手もろとも溺死しかねない。自らを安全な場所に置いて、口先で唱えるような愛は愛ではありません。
愛するなら徹底的に、身も心もその人のために犠牲を払うことです。教会は、この愛のあるところであり、愛は教会の生命です。愛のあるところには、祝福と恵みがあります。教会から愛の命が満ち溢れ、それが相手に向かって働き出すなら、そこには必ず奇跡が起こります。福音とは、まさにこのような神の愛の力だと言いたいです。この愛に満たされると、愛を実践する力が与えられます。それが私の伝道の原動力になりました。
私は、町でホームレスの人々を見掛ける度に、彼らの声なき叫びが聞こえてきて胸が引き裂かれる思いがして、慰めの言葉、励ましの言葉を掛けずにいられなくなります。
ある日、渋谷の駅の地下通路を歩いている時、ホームレスの人が、通行人と視線が合わないように背を向けて、隅の方に座っているのに気付きました。彼らにもプライドがあります。それに、なかなか心を開かず人を信用しません。自分は世間から厄介者とみなされ、不公平な取り扱いを受けていると感じているからです。
しかし、世間の見る目と神様の見る目は違います。神様は彼らに、「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに・・・・・・」(イザヤ43・4)と呼び掛けて下さいます。そして、神を信じる者を神の子として下さり、その愛と恵みによって生きる者に変えて下さるのです。
この良い知らせ=福音を彼らに分かち合うためには、まず私たちの方から愛と憐れみの心を示さなければなりません。
「私は、イエス様大好き」という単純なメロディの賛美歌があります。山谷の教会で礼拝を始めた頃、私はその歌詞の「イエス様」の部分に、「鈴木さん」「山田さん」といった山谷の人々の苗字を次々と入れ替えては、皆で歌うようにしました。
「○○さん大好き」と歌われた人は、涙をにじませて喜びます。それまで何年も、自分の名前一つ呼んでくれる人のいない日々を過ごしてきたのですから。そのようにしてキリストの愛を受けた時、湧いてくる素直な喜びが、氷のように閉ざされた心を溶かしていきます。そして心から喜んで言います。「私は、イエス様を信じます」「私も」「私も」・・・・・・。
そうやって次々と洗礼を受けていきました。私は、彼らがイエス様の力強い復活の生命をいただいて、積極的な人間へと徐々に造り変えられていくことを願いながら、こう話します。
「鬱症状、心配事、絶望、麻薬や酒の誘惑といったものは皆、悪霊が持ってくるんです。心配事や悩みが襲ってきたら、『この悪魔!イエス・キリストの御名によって出て行け!』と自分で宣言して下さい」
イエス様は、御言葉を宣言することによって、悪霊に憑かれた人を癒やされました。万物はこの御言葉によって造られたのだから、御言葉には人の魂を救う力があります。生命があります。私は、御言葉とイエス様の御名による宣言と、イエス様の愛を実践することで、悪魔に心を縛られた人々を解放してきました。
喜びや笑いは薬用効果があるといいます。笑うと血液中のインターフェロン(ウイルス感染阻止作用を持つ物質)の働きが活発になり、体内の悪性腫瘍、癌細胞の働きなどを抑制するという治療実績も表れています。それに、腹の底から大笑いする時には、腹式呼吸をしているので、大量に吸い込んだ酸素が体の隅々にまで行き渡ります。健康に良いわけです。
聖書は、既にそのことを示しています。
「心の楽しみは良い薬である。たましいの憂いは骨を枯らす」(箴言17・22)
ある病院では漫才師を招いて、末期癌の患者さんたちを笑わせたところ、体内の抗癌作用を持つ酵素がぐんと増えたそうです。それだけで、癌が治ってしまった人もいると聞きます。
ホームレスの人たちは、悩みや悲しみが一杯あります。言いたいことがあっても、誰も聞いてくれないからストレスが溜まっています。それぞれが孤独の穴に閉じこもり、人を恐れて逃げ腰になってしまいます。大声で腹の底から笑うなどということは、一年に一度もないのではないでしょうか。
だから私は、礼拝後の食事時に、できるだけ皆を笑わせるようにしています。
「皆さん、気を付けて下さい」
皆、何事かと目を丸くします。
「このごちそう、あんまり美味しいので、頬っぺたが落ちるかも知れないからね」
「ごちそうはたくさんありますよ。ある物は全部平らげて下さい。ない物は抜いてね」
皆、途端にあっはっはと笑い出します。
礼拝中に、ふらりとやってきて勝手に騒ぐ人がいました。そういう人を、私は断固として許さず叱り付けます。C兄弟もそうでした。
「ようしっ!俺は二度と来ないからなぁ」
彼は、捨て台詞を残して出て行きましたが、また翌週やって来ました。こういう人には、にこっと笑ってあげることにしています。C兄弟は、私の笑顔を見て自分が許されたと知ったらしく、ほっとしています。
「あらーっ、二度と来ないと言ったのに。来たの?」
「先生。俺、悪かったと思ってるんだよ」
「そうでしょう。悔い改めたら絶対また来ると思ってたの」
互いに笑い合って握手しました。
何はともあれ、いつもにこにこしていたいものです。神様は人の心の中をご覧になって分かって下さいますが、人間は表面を見て判断します。だからどんな立派な人格者でも、人前で苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたのでは、誰も近付きたいとは思わないでしょう。(続く)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。