兄の手紙は相変わらずだった。その執拗とも思える献身の勧めに辟易(へきえき)するとともに、自分は牧師になどなれるはずがないと思っていた。
母教会の池田牧師は、大阪聖書学院を卒業して種子島に赴任してきた。賢明でハンサムだし、奥様も美人で、二人とも音楽家である。しかも字も絵も上手で、人格識見ともに優れた牧師だった。私はそんな池田牧師を見て、「牧師ってすごいな。何でも出来るし、いつもニコニコして穏やかで、話も上手だ」と、いつも感じていた。
それに比べて、私はどうだろう。兄は牧師になれと勧めてくれるが、歌は折り紙付きの音痴。字は下手。絵も書けない。運動も大の苦手。そして何よりも話すのがダメ。しかも人間嫌いときている。みんなといっしょにいるよりも、独りでいるほうが多い孤独な性格。それにまだ高校休学中の身、知識も学問も身に付いていない。とても無理だ。そういえば子どもの時から、教師と坊さんと自衛隊は嫌いと公言してきた。そのような者がどうして牧師になどなれようか。なれるはずがないし、なろうという気にもなれない。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。