またマルティン・ルターの宗教改革の出来事について、「宗教改革の大きなテーマが信仰によって救われることです。救いを受けるためにイエスを救い主として信じる以外の別の条件があるわけではありません。行いが救いの条件になることはありません。信仰に何か別のものを付加することはできません。これが宗教改革のテーマでした。信仰によって救われ、義人は信仰によって生きる(ローマ1・17)。私達の生活の中に信仰ほど重要なことはありません。神様の御言葉を信じて神様に従って歩んでください」と改めて信仰がキリスト者にとって最も大切なことであることを強調した。
また信仰の正しい在り方について「信じる対象が自分ではなく、またその他のものでもなく、イエス・キリストであるということです。『私』の人生の主人が変わるということです。イエスを信じる以前は『私』が主人公でしたが、信じた後はイエスが主人公になります。(信じる前は)言いたい言葉を発して、自分がやりたい計画を自分で立てていました。イエスを信じたら、『私の思い』ではなく、主の御心に従って、主の思いが何であるかを考えるようになります。主の御心は神の御言葉に含まれていますので、主の御心を知るために御言葉を黙想しなければなりません。イエスを私の人生の主としてお迎えすることで信仰生活は変わります」と勧めた。
そのような正しい信仰生活を歩む際に陥りがちな問題として「イエスを信じるには問題が多くあります。『新しい自分』と『古い自分』が衝突するようになります。新しい人である『霊の人』と古い人である『肉の人』が衝突します。『肉の人』は自分の思いのままに歩もうとし、この世を愛して暮らそうとします。一方『霊の人』は信仰に従って歩もうとして、この二人が衝突するようになってしまいます。『聖霊充満』であれば、新しい人として古い人を去らせ、主を喜ばすことができます。しかし祈らずにいることで『聖霊充満』にならなければ、古い人に従って歩んでしまいます。主が喜ばれないことを行ってしまい、怒ったり、他人を憎む否定的な言葉を語ってしまいます。ですから古い人と毎日(祈りによって)戦わなければなりません」と説いた。
また、苦しい時、絶望の中にある時こそイエスを見つめるべきであると説き、船の中で大暴風による荒波が襲い弟子たちが溺れそうになった時(マタイ8章)、また舟に弟子たちが乗っていた中で、イエスが海の上を歩いてきた(マタイ14章)奇跡を引用して「苦しんで辛い時、絶望の中にある時だからこそ、イエス様を見つめなければなりません。問題の中で恐れてはいけません。ペテロはイエス様を見つめたら水の上を歩くことができましたが、荒波の光景を見た瞬間に沈みかけました。イエス様から目を離せば荒波に落ちてしまいますので、いつも主だけを仰ぎ見なければなりません」と説いた。
教会で「十字架」を語らなければならない
李氏はクリスチャンの信仰の出発点として「十字架」を置くことの大切さについて、ガラテヤ書6章14節を引用して説明し、「イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。信仰生活の出発は『十字架』であり、どのような問題が襲ってきたとしても勝つことができる源は『キリストの十字架』にあります。形式を象徴する信仰的なものを全部なくし、イエスの十字架だけを残したのが宗教改革でした。いつも教会には『十字架』が『私』の中になければなりません」と説いた。
また教会の礼拝説教の中で十字架について語ることが必要であると説き、「教会の中で十字架について語らなければ、霊的に落ち込んでしまいます。十字架は私たちを生かすことのできる命の源となります。初代教会では、どこに行っても使徒たちはイエスの十字架を証ししました。『聖霊充満』を受けた使徒ペテロのメッセージの内容も十字架に関することでした」と説いた。
さらにパリサイ人でローマ市民権を保持しており、立派な家柄と血筋、学問的背景があり自慢すべき点がたくさんあった使徒パウロについて、Ⅰコリント2章2節を引用し、「パウロは『十字架につけられた方の他は、何も知らない』ことを決心しました。十字架は救いの力をもたらします。恥ずかしく思わず、イエスの十字架を証ししてください。私達は罪人であり、イエス様は私達の身代わりになって十字架に架けられ、そのことによって救いの扉を開いてくださったことを出会う人に積極的に伝えてください」と勧めた。
また十字架だけが人類の救いへの道であることを伝える必要性について、「十字架の他に救いの道はありません。他の宗教でも救いの道があるのかといえば、そうではありません。キリスト以外に救いの道はありません。十字架だけが救いの道を定義しています。救いの道に妥協はありません。この真理を伝えなければなりません。イエスだけが救いの道であり、イエスの十字架で救いの働きを完成してくださいました。十字架を高く上げてください。十字架の上で救いの驚くべき御業、罪の赦しの恵みが生じました。十字架で病と貧しさ、呪いが追い出されます。永遠の命と天国が臨むようになります。『十字架中心の生活』を送るようにしなければなりません」と説いた。
さらに教会の礼拝出席については「一番重要なことである」と説き、「いつも教会で御言葉を聞いてください。礼拝に熱心に出席する信徒がイエス様を熱心に信じる信徒です。信仰は聞くことから始まります(ローマ10・17)。礼拝で祝福を受けます。どのような場合であっても、礼拝から遠ざかってはいけません。神様は私達の祈りや真心を込めて捧げものを受けることを願っておられ、その時天の門を開かれ驚くべき祝福をくださいます。その中心となるのが神様の御言葉です。主日は主がくださる恵みを受け取る日です。恵みを受けて、主の恵みの中で勝利の生活を送るようになります」と説いた。
李氏はキリスト者の信仰について「人間の考えを主の御言葉を通して神の御心に変えること。これを宣言することで奇跡が起こるようになります。『私』の考えを宣言するのではなく、主の御言葉を宣言することで奇跡が起こり、聖霊様が働いてくださるようになります。そしてこの御言葉が人々を変えてくださいます。徹底して御言葉中心の信仰生活を送ることで、神様の恵みが降り注ぐようになります」と説いた。
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