コンピュータのエンジニア、メガネ専門店経営者と理論武装で固めた人生を過ごし、霊的な経験には無縁であった岡田氏が、聖霊体験を経てクリスチャンとなり伝道師、牧師となるに至るまでに実際に体験した聖霊の働きについて自身の経験に基づいて力強い証しがなされた。
岡田氏は自身の聖霊体験について、「本当に霊的なものを信じることのない人間だったのですが、聖霊に触れられたとき、『あ、神だ』というのが分かった。イエスと言うお方がはっきりとした顔立ちで現れたのではなく、はっきりは見えないが、感激の涙が止まらなくなる方として近づいてこられた。神は圧倒的な炎のような存在。太陽がはっきり分からないのと同じで、多くの場合は光り輝く姿で近づいて来られるお方です。内側から憐れみという愛が湧き上がってくるのを感じました」と証した。
第6回決起集会で岡田氏は「聖別」について強調したメッセージを伝え、「旧約聖書には『聖別』について120カ所程出て来ている。『聖め』も入れればもっと多くの箇所に記述されている。律法の中で、聖別について、幕屋の中で行われる生贄の血による罪の聖めとして書かれている。また、幕屋についての記述はモーセ五書の三分の一を割いて書かれてあり、無視してはいけないことである」と述べた。
岡田氏は聖別を受けるには、御言葉に従順する信仰と謙遜が無いと無理であり、「福音の言葉は信じない者には愚かでも、信じる私達には神の力。宗教の教えではなく、『そう思えば良い事がある』という様なものではない。国家権力に権威があるのと同様に、イエスという御名には神の権威があり、悪霊はそれに従わなければならない」と説いた。
また自身の牧会経験を通して、「十分な献金や奉仕をしているのに、それにふさわしい報いが返ってこない」という相談を受けることが度々あるという。岡田氏はその問題として、「聖別が足りない」ことを指摘し、「祝福を受けるのに信仰の不足分がある」と説いた。
岡田氏は聖別の理解についてヨブ記1章1節~12節を引用し、「ヨブ記でサタンは神様のそばにいた。礼拝中にもクリスチャンのそばにも悪霊どもがいると考えるべき。また、ヨブが家族の罪のため生贄を捧げてヨブの家族を聖別していたことで、神様がヨブとヨブの家、そのすべての持ち物との回りに垣を巡らしていた、とサタンが聖別をズルイと証言していることが重要。同様に、イエス・キリストの血によって、『礼拝場所を囲う』や『私の体を囲う』という聖別の祈りが効果的である。」と説いた。自身が集会を導いた経験の中で、「集会前に礼拝場所を囲う祈りをすることで、集会中にいつも騒ぎ出す子どもが大人しくなった。自分の体を囲う祈りをすることで、奉仕や献金の祝福が確実に与えられるようになった。」事などを証しした。
信仰告白のときに完全な聖別が訪れるが、信仰告白の後、不信仰による罪と咎のため徐々に聖別に穴があいてしまう。聖別が穴だらけになると、悔い改めをしても効果が感じられなくなってしまう。そのようなときに、牧師、伝道師が聖別の祈りをすることが効果的であると説いた。御霊に歩み悔い改めつつ清く生きていなければ、聖別が他人にまで及ぶのは難しいという。
また御言葉による聖別について、ヨハネ17章14節~19節でイエス・キリストが弟子たちへの祈りの中で「真理によって彼らを聖め別ってください。」「みことばは真理です。」とある御言葉による真理が聖別であることを指摘し、「私達は御言葉が与えられたこの世のものではない者であり、聖霊による霊能力者である。そのように(キリスト者としての)自分を思わないといけない」と述べた。現実では「霊能力者」と言う言葉が世の霊能力者に奪われてしまっていることに遺憾を伝えた。
御言葉による聖別について、「聖書の御言葉によって、真理が皆さんを聖別する。(御言葉によって)説き明かされたものが真理。聖別された時から、奇跡が起こる。イエス様ご自身も聖別されたのであり、聖霊によって聖別され、十字架上で全人類の罪のため血を流して聖別されたから、再び血を流して自身を聖別する必要はなくなった」と説いた。
生きた信仰者としてのあり方として岡田氏は、「聖書を何十回通読し、『歩く聖書』と呼ばれるようになっても、御霊の実が無く高慢であると思われる人もいる。御言葉をただ文字として読むのではなく、幼子のように御言葉に忠実であろうとすることで天国人となる。御言葉は生きて働いている。御言葉が倫理道徳の文字だけなら、私達は互いに裁き合い罪人として神に裁かれる。クリスチャン的な笑いが出なくなる。私達はただ単に言葉を覚えているのではなく、それを用いて『実際に神が働いた』と言う経験を積まなければ、何の悟りにもならない。悟るには経験を積み上げなければならない。御言葉によって自由にならなければならない」と説いた。
聖霊による聖別について、「『父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように(Ⅰペテロ2・2)』と書かれてあるように、イエス・キリストに従う『従順』は聖霊によらなければできない。聖霊の賜物を受け神の力を発揮することは、その人が神から遣わされた僕であることの証しであるが、神の栄光を表すためには、凄い従順と凄い謙遜が必要。自分がスルメよりペシャンコになるくらいの謙遜を示すときに、神の全能の力が実際に働くようになる」と説いた。
岡田氏はヘブル書9章14節から良心の聖め、良心の聖別について、「聖霊によって聖められるべき汚れた良心を今も私達は持っていて、クリスチャンは二つの基準を持つダブルスタンダードである。クリスチャンは、昔からもっていた良心と聖霊によって与えられた良心とのダブルスタンダードである。御霊によって与えられる良心を知り御霊による知識の言葉に従い、自分の汚れた良心を捨て良心の聖別を保つことが大切である」と説いた。
神様の日本への愛実行委員会(実行委員長 奥山実氏)では、10月4日、5日に淀橋教会(東京都新宿区)で開催される世界最大のプロテスタント教会ヨイド純福音教会主任牧師の李ヨンフン氏による「神様の日本への愛」聖会に向けて連続したいやし決起集会を開催しており、10月の聖会が人間の思いではなく主の知恵によって企画され、教団教派を超えてひとつとなり、日本を振り動かす変革・イノベーションの集会となることができるように毎回参加者一同による祈りがなされている。次回第7回の決起集会は8月16日北とぴあカナリヤホール(東京都北区)で開催予定。使徒的実現チャーチ牧師の重枝覚子氏および岡田氏がメッセージを伝える予定である。詳細はこちら