7日東京都立川市で行われたERM聖書学校校長徐起源氏による「9種類のいやし方を知る20の学び」では、病気が主の懲らしめではないことが説かれた。
徐氏は、出エジプト記23章25節から28節を引用し、「病気が主によって除き去られていること」を指摘し、主の懲らしめについてはヘブル書12章4~13節を引用し、訓練として神が信じる者を「子」として扱っておられるが故に生じるものであると説いた。
徐氏は「神様は病気を通して何かを教えようとしているのではありません。手を洗って御飯を食べないといって、手を切ってしまう母はいません。いやしは懲らしめの中に入っておらず、病はいやされます。神の教えは、私達の益のため、ご自身のきよさにあずからせるためにあるのであり、結果的には平安な義の実りをもたらします(ヘブル12・10~11、13)。病気による主の懲らしめはあり得ません」と説いた。
パウロが受けた難は「人から受けた難」
また使徒パウロが受けたかん難について、Ⅱコリント11章23節~27節を引用し、使徒パウロの受けたかん難は「人から受ける難」であり、病気の苦しみはどこにも書いていないと説いた。実際使徒パウロについてはⅡコリント12章10節において「キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじる」とあるだけで、病気に甘んじるとは、どこにも書かれていない。
肉体に与えられた一つ「とげ」(Ⅱコリント12・7)についてヨシュア記23節12、13節および民数記33章55節を引用し、同箇所で異邦人を生かしておくことによって起きることが「目のとげ」「わき腹にむちとなる」と書かれていることから、「とげ」は人から来る害を象徴していると説いた。
徐氏は、「パウロの伝道はいたるところで人間による、サタンが人間を利用して来る迫害や抵抗がありました。伝道がしやすくなるように『主よ、この目のとげ、肉のとげを取ってください』と神に願いました。『とげ』はサタンから来るものです。『全世界は悪い者の支配下にある(Ⅰヨハネ5・19)』とあるように、この世はサタンの支配下にあり、その中にあって義と信仰で立ち向かいなさいと神は言っています。神は『あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者となってほしい(Ⅱコリント9・8)』と願われておられますが、サタンはそのようになってほしくないため、色々な問題を持って来ます。あなたのすべての過去の過ちを思い出させ、絶えずあなたを非難し、偽りによってあなたを癒されないようにさせます。神について真実でないことを言ってだます者です」と説いた。
キリストは病と痛み、咎と罪を負われた
イザヤ書53章4節~6節ではイエス・キリストが病と痛み、咎と罪を負われたことが書かれてある。徐氏は「この4つのことは、既にイエス様が負われたことを頭に入れてください。負って下さったものの中には、試練・迫害・苦難は含まれていません。祈り方においても、負っていただいた分についての祈り方と負っていただいていない部分についての祈り方は違ってきます」と説いた。
徐氏ヤコブ書5章13節14節を引用し、病によって苦しんでいる場合は、教会の牧師先生が駆けつけて祈ってあげることも必要であるが、「試練を乗り越える」ための祈りは、「信徒がいつも牧師に頼んで祈ってもらうと、自分で乗り越える恵みを得ることができず、いつまでたっても自分で立ち上がることができません。試練・迫害・苦難は『あなたが立ち向かって解決する』ことを神は教えようとしておられます」と説いた。
自我に死んで神のために生きる
徐氏はキリスト教の教えについて、マタイ10章38節、39節を引用し、「自分の十字架とは病気のことではなく、自分の自我に死んで神のために生きる事を決意して、そのためにいかなる困難があっても、信仰を続けることです」と説いた。
また試練と誘惑について、ヤコブ書1章12節~16節を引用して説明し「試練と誘惑は同じです。耐え抜いた人にとっては試練を乗り越えたことになり、負けた人は誘惑に負けたことになります。この世の欲がない人は試練に打ち勝つことができ、サタンがおびき寄せることができません。この世の富に対して、名誉に対して欲がある場合は、サタンによっておびき寄せられてしまいます。地上で有名になりたい、大牧会者になって人生を終わりたいと、この世での自分の栄光だけに目を向けている人は危険です」と注意を促した。
恵那レーマミニストリー「9種類のいやし方を知る20の学び」は御言葉のリバイバル聖会前の午前10時30分から開催されており、実践的ないやしの仕方の講義がなされている(聴講2講義5千円、ERM聖書学校詳細はホームページまで )