24日、淀橋教会(東京都新宿区)で第21回ホーリネス弾圧記念聖会が行われた。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう(ヨハネの黙示録2・10)」の聖句が掲げられ、「伝えられた信仰の継承」をテーマに、日本キリスト教史上最大のプロテスタント教会に対する迫害と言われるホーリネス弾圧事件において、当時のホーリネス系教職者らが受けた弾圧、迫害に屈せず信仰を守り抜いた姿勢について日本キリスト教団仙台青葉荘教会牧師の島隆三氏、日本ホーリネス教団八王子教会員の島千代子氏から証しがなされた。
夜の聖会では、基督聖協団目黒教会主任牧師の横山聖司氏からホーリネス弾圧事件と新約聖書の使徒たちが宣教を行ったローマ時代の迫害の様子を比較した説教が行われた。
戦中の1942年6月26日早朝に、治安維持法違反の嫌疑でホーリネス系教職者96名が逮捕された。天皇統治の時代において、ホーリネス系教会はキリストの再臨の下に千年王国を地上において建設する新天新地思想が、天皇による千年王国の建設に際して国体を否定すべき内容の危険な思想であるとされ、当時の治安維持法違反により激しい弾圧を受けた。
淀橋教会主管牧師の峯野龍弘氏は、聖会の挨拶でホーリネス系教職者の弾圧を耐え抜いて殉教の最後を遂げた姿について「(信仰の)先輩方は国家に対して何一つ歯向かうことなく、後になってそれをとやかく言う事もなく、神様からの特別なご訓練であったと受け入れた。国家からの弾圧よりも、同胞の弾圧、同じ仲間から傷め尽くされたり強い誹謗を受け、信仰的な災難を受けるということはより辛い経験であったと思う。そのことについても、弾圧を受けたときの先輩たちは、それらの人たちを後に誹謗することもなく、それも神様からの恵みだと引き受けてきた。そこにきよめの真骨頂があると思って、それに見習い続けていきたいと思う」と述べた。
1939年に札幌市に生まれ、札幌新生教会で育てられ、伊藤馨牧師から洗礼を受けた島隆三氏は1945年10月7日に札幌刑務所から釈放された同牧師の迫害下における信仰の生について証した。
島氏は伊藤馨について、「ホーリネス教会で弾圧を受けた方の中で一番長く獄中にいた。国から理不尽な取り扱いを受けたが、私の知る限り、当時迫害を受けた牧師先生方の中でひとりもそのことに対して、後に名誉を回復せよと国に申し出た人はいない。主のために苦しみを受けることに甘んじられた」と証した。島氏は1941年3月23日に獄中死したホーリネス派日本聖教会、函館聖教会の牧師補であった小山宗祐についても触れ、「北海道でもう一人若くして殉教した小山宗助先生がおられる。最初にホーリネス系の教会で殉教した先生であった」と伝えた。
弾圧時に家族と共に上海に滞在していた島千代子氏は、父親であり上海で日本基督教団の牧師をしていた森五郎が、上海に逃れてきたユダヤ人を救助したことを咎められ検挙され、巣鴨拘置所に入れられた事件について当時の体験を証した。
森五郎は戦後、日本ホーリネス教会の和協分離に伴って設立された中田重治派の教団であったきよめ教会を受け継ぐ団体としての基督聖教団を創設、初代主管者となり、イスラエル再建のために祈り続けた。島氏は「父から御言葉は知る、覚えるだけではなく、心に蓄えなければならないという貴重な教えを受けた。祖母両親から受けた信仰が6代目の孫まで引き継がれている事は、神様の憐れみと思う」と証した。
聖会で説教を行った横山氏は、新約聖書に書かれてあるイエス・キリスト復活後のローマ時代の迫害の様子と戦中日本プロテスタント教会が政府から受けた迫害を対比するメッセージを伝えた。
横山氏は当時のローマ皇帝とキリスト教徒への迫害の様子について、「自らを神だと思っており、皇帝礼拝を徹底してキリスト者に強要していた。小アジア7つの教会に激動が生じており、人類史が大きく揺れ動いたのが紀元1世紀の時代であった。弾圧と迫害をいくら繰り返しても否応なしに浸透してくるのがキリスト教であった。当時のローマでは『イエスか、カイザルか』―この命題と戦っていた。この命題を前にして、カイザルを前にするローマ帝国がついに覆されて行った。寸分の妥協もないと思えたが、ローマ帝国はついに敗北し、4世紀にキリスト教がローマに受け入れられ、どんどんヨーロッパ中に広がっていった」と伝えた。
1942年6月のホーリネス弾圧事件について、横山氏は「ホーリネス系教会の『再臨思考』が、天皇を『カイザル』とする国体に反するとされた昭和史に残る弾圧事件。 日本でも『イエスかカイザルか』、この命題を前に信仰の死闘を繰り広げ、死にまで忠実であったキリスト者たちが私たちの信仰の先輩におられた」と伝え、聖書の律法と国の法律が矛盾した場合、神の律法に従う道を選び殉教していった信仰の先輩の道を改めて振り返る時が持たれた。
横山氏は説教の中で、終戦直後の時の日本の首相が、戦勝国アメリカに対して「我が国はイエス・キリストの教える新しい倫理を必要としている。仏教も神道も敵を赦し、敵を愛せとは教えてはいなかった。日本が復興していくためには国民生活の基礎にイエス・キリストが必要だ」と語っていた事を紹介した。
またマタイの福音書10章22、23節、28節を引用し、迫害について、「イエス様は『迫害するなら他の町に逃げなさい』と言われているが、数節先を読むと『からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなど恐れてはいけません。そんなものより、たましいもからだも、ゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい』と言われている。殉教か逃亡か、二つの中で教会はずっと揺れ動いてきた。美しく生きるためにはどうあるべきか。殉教の生き方が示されていないといつも卑怯の側に傾いてしまう。私たちの人生にも自分がしたいと思う行動の右端から逆の左端に向かって、自分の願いではない方向へ走り出す方向がやってくるかもしれない。そうしたことが信じられる瞬間が歩みの中にあってもよいのではないか」と伝えた。