その翌日、誰か面会に来ているというので玄関に出てみますと、K兄弟が立っています。
「先生、ちょっと話があるんですよ。おらぁ、なぁ、ちょっと懺悔したいんですけど」
私たちプロテスタントの教会では、懺悔と言う代わりに、悔い改めという言葉を使うのですが、まぁ、ともかく彼を部屋に招き入れました。
「先生、おらのなぁ、この手が罪を犯してきたんだよ。この手で人をなぐったり殺したり…」
聞けばこの人は、乳呑み児の頃に父親を亡くしたといいます。生活に困り果てた母親は、よりにもよってやくざの親分の家の玄関先に、わが子を置き去りにしたようです。それ以来、やくざの親分に育てられ、親分が殺人罪を犯したら、子分が身代わりに刑務所に入るという掟を、忠実に守ってきました。それで、これまでの人生の半分以上は刑務所暮らしであったといいます。
彼らの世界では、強くなければ生きていけません。K兄弟は腕っぷしを鍛えるために、空手も柔道も身につけ、殴り込みに出かけては、相手を失明させ骨折させ、数え切れないほど痛めつけてきたそうです。
「でも、今日まで一晩だって枕を高くして眠ったことがないんだ。俺は、いつか殺される。今日か、明日かと思うと。特に野宿を始めてからは、不安で、不安で…。先生。俺のなぁ、この右手を切ってくれないか。これ以上罪を犯さないように。この手は、ないほうがいいんだ」
聖書には、「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい」(マタイ5・30)という言葉があります。彼は、それを知っていたわけではないと思いますが。
「そう。わかった。じゃ、その手を出しなさい」
私は台所から持ってきた包丁を、講壇の前に掲げて祈りました。いや、それは祈りというより絶叫に近いものでした。彼の魂が救われるために、神の前に心の限りを注ぎ尽くしてしまいました。
「愛しまつる天のお父様。K兄弟は、これまでどれほど多く罪を犯してきたかわかりません。でも彼は、今、心の底から悔い改めて、イエス様を信じて新しい人生を歩みたいと願っています。お願いです。どうか、彼のすべての罪を赦してください。そして、これからは、この右手を主の喜ばれることに用いることができますように、導いてください」
祈り終えますと、私は彼の手に両手を置いて宣言しました。
「K兄弟に罪を犯させてきたサタン。イエス・キリストの名によって命じる。兄弟から今すぐ出ていけ!罪を重ねてきたこの右手は、今ここで主の御名によって絶ち切る!」
K兄弟は目をつぶって、覚悟を決めた様子でした。私は包丁のみねで、彼の右手をバシッと叩きました。彼は切られたと思ってぱっと目を開けました。
「何だ先生。俺の右手、まだあるじゃねえか」
「何言ってんの。さっきお祈りしたでしょう。今までさんざん悪いことをしてきた右手は、たった今断ち切った。今からは、この手は、いいことをするために使うの。いいですか。絶対にけんかするな、とは言いません。だけど、神様のもとでは、けんかをしても負けるが勝ち。負けなさい。神様は弱い者、負ける者の味方なんですよ」
「よし、俺はこれからは絶対けんかはしない。この手は、いいことに使うんだ」
何とうれしい言葉ではないか。私は、K兄弟の両手をしっかり握って祈りました。
「主よ。この両手を祝福してください。生まれ変わったこの手は、絶対に、いいことのためだけに使いますから」
ところが翌日の夕方、野宿仲間に連れられてやってきたK兄弟を見た瞬間、私は驚きのあまり声を失いました。両手も顔も血まみれです。両眼もペチャンコに潰され、血がにじみ出ています。一体何をしでかしたのでしょうか。
「K兄弟!あんた、またけんかしてきたの。あれほど約束したのに」
「先生っ。ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺の話しも聞いてくれ、…。さっき公園で寝ていたら、三人組の『もがき』がやってきて、いきなり俺を足蹴ににして、『金を出せ』と言うんだ。逃げようとすると、よってたかって殴られて…。足腰が立たなくなったところで、有り金全部取り上げられて、着の身着のままで、ようやくここまでたどり着いたんだよ」
息も絶え絶えの熊でした。
「先生―っ。俺は先生と約束したんだ。神様と約束したんだ。この手は、絶対けんかには使わないって。だから、殴られっぱなしでいたんだよ」
「そうだったの。よかった、よかった。よーくそこまで我慢したね。負けるが勝ち。あなたは己に勝ったのよ。いやー、それにしてもよく我慢した、よく我慢した」
ところが、一緒についてきた仲間がこうけしかけた。
「おいっ、おまえ。その目、潰れそうだよ。このままにしておくのか。あいつらにやり返せ!やっちまえ!」
私は、その男を思わず怒鳴りつけました。
「悪魔!サタン!この場から出ていけ!」
彼は、あわを食って逃げ出しました。
この町には、私たちの想像を絶するようなことが起こります。K兄弟が被害に遭った「もがき」もその一つです。強盗、追いはぎのことですが、まさに19世紀の遺物のような犯罪と言えます。それが、20世紀の東京のど真ん中で、昼夜問わず堂々と行われていたのです。
ホームレスの人たちは、よく、現金を靴の底や腹巻にしまっておきます。そして公園などで寝込んだ頃、屈強な体格の者を交えた三人組がやってきて、一人が見張りに立ち、二人が寝入っている人の頭を足蹴にして起こします。何が起こったのかわからず、寝ぼけまなこでふらついていますと、「金を出せ」と脅迫するのです。そして現金だけでなく、腕時計や上衣まで強奪していきます。抵抗しようものなら、半殺しの目に遭うのです。
警察では、犯行現場を押さえないことには犯人を逮捕できないのだといいます。ある時など教会に、もがきの被害者が数十人、命からがらたどり着きました。警察では相手にしてくれず、皆が泣き寝入りなのです。被害者たちは、体の傷よりも心の傷のほうが大きいです。それを癒やすために、傷の手当てという行いを通して、神様の慰めと励ましを殻で受け止めてもらってきました。愛の実践に勝るメッセージはありません。
K兄弟の傷口を消毒するために軟膏を捜しましたが、あいにく使い切っていました。それで、とりあえず赤チン(マーキュロクロム液)を、両手と両眼の周り、ほおなどの傷口にベタベタと塗ってあげました。
「さ、終わったよ。私の部屋で休んでなさい」
「ありがと」
彼は、その足でトイレに行くなり、あーっと世にも悲痛な叫び声を上げました。
「先生、俺の顔どうしてくれるんだ。まっ赤っかじゃねえか」
トイレの前の鏡で、変わり果てた自分の顔を見て、思わず絶叫したのでした。
「いいじゃない。あなた。治るまで外出しないで教会で休んでいなさい。ねぇ、お祈りして、賛美して、聖書読んで過ごすのよ。こんないいことってあるの。宿代もただなんだから、安心して」
彼は、それから数日間泊まっていきました。私の赤チン治療をおとなしく受け、更生したい一心で祈り、賛美しました。私もその間、付きっきりでした。
私のふところ具合からみて、化粧品セールスに出掛けなければならない頃だったのですが、それどころではありません。何とかこの人の魂を救いたいと思うものですから、朝から晩まで聖書を読み合い、聖句の意味を話してあげて、食事を与え、霊肉ともに養いました。
彼は聖句を純粋に受け止め、ひたすら心の中に蓄えていきました。過去に、何回殺人罪を犯そうと強盗をしでかそうと、キリストの御前にありのままの姿で来る者は、「イザヤ書」1章18節にあるとおり、その罪がたとえ緋のように赤くても、雪のように白くされるのです。
「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂です」(詩篇51・17)
これらの聖句の確かな証拠を、目の当たりにする思いでした。
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(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています。)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。