ウィリアムズ博士は講演の中で1948年に世界人権宣言が採択されたことは、疑う余地なく歴史的な道徳意識の画期的な向上に結び付くことになったと述べた。それにもかかわらず、現代社会においてより多くの人権問題を抱えるに至ってしまっていることを指摘した。
人権が政治的、経済的戦略との関わりの中の一要因として理解されるようになってきたこと、敵対する文化に対するイデオロギー上の言葉として話されるようになってきてしまったことを指摘した。また経済的不正が修正出来得る範囲内では、人権が個人の贅沢を求める権利があることに焦点を置かれるようになりすぎてしまったこと、旧ソ連を中心とした東側諸国、発展途上国はこのような過剰な個々人の権利を求める動きに対抗してきたことを指摘した。
また今日に至っては、一部の宗教共同体にとって、他の文化を受け入れるように強制されること、特に結婚や家族観に関する伝統的価値観による強制が人権を侵害する問題となって残っていることを指摘した。
このような中にあって、ウィリアムズ博士は人権と宗教的信仰を再び結び付けるために、とりわけキリスト教徒の人権と人間関係について言及するとき、どのように関わり合うべきかについて一考察を投げかけた。ウィリアムズ博士は、他の宗教でも似たような指摘がなされる可能性があることを踏まえて、人々の間で相互に認識されている者の中で、どのような問題が存在しているのかを認識することが大事であると述べた。その上で異なる人々が共に相手を認識し、共感し合う習慣に基づいた人権の在り方を模索する必要があるという。
また適切な法律の理解をしていくことも重要であるという。法律は人々の思っていることを相互に認識できる形で成文化したものであり、法的な認識をもって市民社会の中で一部の人々の人権の濫用を防ぐことができるものであると述べた。
普遍的権利は世界人権宣言の中核となる権利であり、宗教と人権問題に関する対話における隔たりは、世界人権宣言は、宗教的倫理観によるセーフガードなしには、理解することができないことにあるという。世界人権宣言の前提として、国籍、社会的地位、性別、年齢、業績を問わず、すべての人類が尊厳に値する存在であるという認識が宣言されている。
~すべての人がそれぞれ独立に神と関係を持っている~
ウィリアムズ博士は、すべての人が尊厳されるということは、すべての人がそれぞれ独立に神と関係を持っており、また他の人やこの世での政治的、社会的システムとの関わりを持っているからこそ尊厳されるものであると伝えた。
人類は神によって創造され、神に似た存在として創られたことが創世記に書かれている。ほかにも、一つの共同体として、共に励まし合い相互に向上し合う存在であることが聖書の中に記されている。
そのため人権は個々人と関わりのある問題である一方、「個人主義」とは大きく対立するものである事が指摘された。人権とは相互の関わりの中で互いの必要を認識し、すべての個々人の必要が行きわたるために用いられる言葉であり、個々人の純粋な野心的な事柄や、権威を高めるために用いられる権利ではないことを改めて伝えた。
ウィリアムズ博士は、もし個々人の野心的な事柄や権威を高めるために人権が用いられるならば、一部の政治的権威やシステムによって他の脆弱な人々の生活の利便性や環境が抑圧されることになると指摘した。
~キリスト教が人権に果たしてきた役割~
人権に対するキリスト教の関わりについて、南アフリカのアパルトヘイト政策の撤廃について、教会の貢献がなければ困難であったこと、旧東ドイツでは教会が唯一の自由に討論できる場所として機能していたことなどを挙げた。
人権問題を語る際に、宗教的な言葉や組織と切り離されて考えられるようになるならば、歴史的に必要不可欠な人権に関する権利を失うことにつながると指摘した。
また人権は万人に対する宗教的倫理と切り離して考えられるべきではないと伝えた。ウィリアムズ博士は法治国家間が相互に認識する際において、万人に適用される原則、人類の普遍の権利に対する相互理解が互いに必要であることを指摘した。
また20世紀の基本的人権の役割として、それまで社会的立場が与えられていなかった女性に雇用の機会を与えたものの、権力の格差によって女性が性的な搾取や嫌がらせ
を受けざるを得ない危うい状況に残したままとなってしまったことを指摘した。さらに移民の適切な保護、孤児院への収容等の問題も高まっていることを指摘した。宗教的なホスピタリティの伝統をもって、普遍的な人権が与えられているこれらすべての人々の必要が満たされるように活動していく必要のある領域であるという。
そして共同体を織りなすひとり、あるいは一団体として認識できる存在であり、その存在が十分に保護されていないと認識するとき、法律が状況を改善できるように修正されなければならず、社会の少数派と呼ばれる人たちも、多数派と同じように認識されなければならず、相違や合意出来ない事柄を乗り越えていかなければならないと伝えた。
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