本間氏は、詩編65編から神の民に約束された主の豊かな恵みを説き、「この恵みの主に、私たちの信仰の目は開かれているでありましょうか」と問い掛けた。そのうえで、「真の神を信じる私たちも、いつの間にか真の神以外のものが入っていないか確かめなければなりません」と指摘した。また、「神様を道具にしていないか」と信仰者の自己中心の姿を指摘し、「私たちが本当に自我に死ぬことができたとき、神のご栄光が私たちを通して表される」と説いた。
本間氏は、「神がともに歩んでくださる人生には、すべてのことが感謝で満ちる人生が約束されている」と述べ、詩編65編がテサロニケの信徒への手紙一5章16節から18節で表現し直すことができると説いた。本間氏は、「いつも喜ぶこと、いつも祈ることによってすべてを感謝することが生まれる」と説き、「すべてのことを感謝するきよめの人生を歩ませていただきたい」と述べた。
第2回目の集会で小寺隆氏(九十九里みぎわ教会牧師)は、罪について、本来は人間関係の中で見えてくるものと語り、「無縁社会といわれる私たちの社会が、ある意味で罪というものが見えなくなってきている社会」と指摘した。小寺氏は、「(神への)期待、飢え渇きは、自らに対する問い直しなしには起ってこない」と述べ、自らの罪に対する絶望から神への祈りが生まれることを強調した。そのうえで、「神様の愛はすべてを受け入れる愛」と説き、「キリストとの出会いの中にあって、自分中心でない、神様を第一として祈り求めたときに初めて、深い淵の中にいた自分がわかる」と述べた。
また、「イエス様と私たちをつなげる唯一の道は祈り」と語り、「神様とつながれていくとき、私たちの日常はもっと変えられていく」と説いた。小寺氏は、「イエス様をお遣わしくださった神様は私たちにすべてを与えてくださっている」と強調し、「神様のすごい恵みの中に生かされている私たちだということをもっと感謝して、真剣に受け止めていくお互いでありたい」と語った。
最後の集会で同教団委員長の小寺徹氏は、祈りについて、「三位一体の神の交わりに入ること」と説き、「父、子、聖霊なる神様がそこにいてくださる神とのすばらしい交わりのとき」と語った。
小寺氏は、詩編16編の「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません」(2節)との告白について、申命記5章6節の応答の言葉と説いた。また、日常生活の中で聖書を読み、絶えず祈ることの重要性を強調し、「御言葉と祈りによって主を私の目の前に置くという決断をしっかりしていきたい」と語った。
最後に小寺氏は、神とともに歩む人生には生涯にわたって感謝と喜びがあふれると説き、「イエス・キリストの名によって父なる神に祈る時に、何を祈って良いか分からない私を聖霊が執り成してくださる」と三位一体の神との交わりである祈りの重要性を強調した。