神が確かに癒やして下さることは、聖書の約束です。ですから、私たちを活かし機能する信仰をもって、癒やしの恵みに近づいて参りましょう。
1.どんな場面でも機能する信仰
「人生で苦しいことがあるなら、祈りなさい。良いことがあって喜んでいるなら、賛美しなさい。病気で倒れたなら、教会のリーダーを招いて祈ってもらいなさい」と聖書は語っています。人生には、様々なリアルな出来事が起こり、全ての場面で、私たちの喜怒哀楽の感情が伴います。その中で、祈ったり、賛美したり、兄弟姉妹に励ましてもらったり、どんな場面にも働かせるべき信仰の形があることを知りましょう。イエスを信じる信仰は、困った時だけ祈る信仰ではなく、常時スイッチオンでなければなりません。どんな状況でも、何をしていようと、常に信仰を働かせることが大切です。
2.信仰の担い手である私たち
日常生活で、掃除も掃除ロボットがしてくれ、色んなことを機械に任せることができる時代です。あなたのCDプレイヤーが賛美やメッセージを流してはくれるでしょう。しかし、機械に信仰があって、私たちの代わりに賛美したり祈ったりしてくれることはありません。信仰の担い手は、信仰者である私たちです。人任せにしないで、苦しい時は自分が祈り、喜んでいれば自分が賛美し、病に倒れ力が不足している時は、主にある兄弟姉妹にお願いしてでも祈ってもらい、神に向かって信仰を働かせて参りましょう。
3.癒やしを求める信仰
聖書ははっきりと、「信仰によって癒やしを求めよ。病んで祈れないならば、祈ってもらってでも、癒やしを求めよ」と語っています。イエス・キリストの救いは、私たちの全存在を救うものです。悟りや確信を与えて、心の中に救いを下さるとともに、私たちの命の健康のあり方や、人生の出来事、日常の小さな出来事まで、全部ひっくるめて、私たちの存在に関わる全てを救って下さると受け止めようではありませんか。
救いを部分的に限定してはなりません。肉体の弱さを覚える私たちのために、主は、癒やしを与え励まし強めて下さり、命を回復して下さいます。神から与えられた地上での人生を、十分に充実した生き甲斐のある価値ある人生へと主は引き上げて下さり、必ず人生を全うさせて下さいます。
4.互いのために祈り合う信仰
「病の癒やしを求め、互いの弱さを隠さず、時には罪を言い表わし、悔い改めながら祈り合ってごらん。そうすれば、癒やされるよ。信仰者の力は、働くと大きな力がある」とヤコブは語りました。つべこべ言わず、実際にやってみれば、信じた通りのことが実現します。それを、自分のものとしようではありませんか。また、「エリヤも私たちと同じ弱い普通の人間でした。でも、彼も信仰を働かせ祈れば、雨が三年六カ月降らず、再び祈ると、雨が降るようなとてつもない奇跡を行わせてもらったんですよ。」と、実践する信仰は、そこまで成長する余地があると聖書は語ります。私たちも、癒やしのための信仰を働かせて参りましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。