記事一覧
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新・景教のたどった道(21)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(2)イエスの降誕記事 川口一彦
イエスの降誕記事を紹介します。天尊(父なる神)は涼風(聖霊)を、名を末艶(マリア)という一童女に向かわせると、涼風はマリアの腹の中に入りました。すると天尊が教えた通り、末艶は懐妊しました。
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新・景教のたどった道(20)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(1) 川口一彦
『序聴迷詩所経』(イエス・メシア経と呼ばれる)は、イエス・メシアの降誕と洗礼、十字架と復活の記事、マタイの福音書5章から7章の山上の説教部分が多く引用されていることから、その名がつけられたと考えます。
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新・景教のたどった道(19)唐代景教最初の宣教師、大秦国の阿羅本について 川口一彦
阿羅本は大秦國の人で読みは不明。アラホン、アラベン、アブラハム、アルワーン、アロペン、ラバンなどの読みがあります。ペルシアからシルクロードで入唐した景教徒初代宣教師。生没年は不詳。
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新・景教のたどった道(18)中央アジアの遊牧民と景教徒ソグド人 川口一彦
シルクロードと重なる道にステップロード、草原の道があり、はるか昔から遊牧民の東西南北の移動によって貿易が盛んに行われていました。それは今も続いており、車社会になりつつある中でも馬やラクダが用いられています。
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新・景教のたどった道(17)敦煌で発見された景教文書について 川口一彦
この地で、以下に掲載する景教経典と讃美書が発見されました。一神論の中の世尊布施論の末尾に641年と書かれています。太宗皇帝の貞観15年のことで、序聴迷詩所経も阿羅本による翻訳書殿での作と考えられます。
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新・景教のたどった道(16)唐代中国の敦煌で発見された景教徒の壁画と古文書 川口一彦
日本のように豊かな水と緑に囲まれている島国とは違い、緑も水も見られない敦煌やトルファンの砂漠の地で、当時多くの果物が栽培や販売もされ、ブドウも多く作られていました。
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新・景教のたどった道(15)マニ教と景教 川口一彦
当時のペルシアから、中央アジアや中国国内に入り込んで社会に認められ、自分たちの名を上げて世界宗教になるよう企てた異端カルト集団にマニ(漢訳で摩尼、摩尼光佛)教があります。
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新・景教のたどった道(14)高昌においてシリア語による降誕賛美礼拝をしていた景教徒たち 川口一彦
唐代の高昌にあった景教会堂では、降誕節にシリア語で賛美礼拝をしていました。1905年に高昌故城を調査するために団長として入ったドイツ人の考古学者で探検家のル・コック(1860〜1930)が発見した、景教徒たちのシリア語賛美集で分かります。
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新・景教のたどった道(13)中国・高昌での景教壁画 川口一彦
現在の中国の新疆ウイグル自治区トルファン付近に、漢代や唐代に栄えた高昌(コーチョ)都市があった。この地は中央アジアと中国、インドを結ぶシルクロードの重要地点で、仏教、マニ教、景教も盛んであった。
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新・景教のたどった道(12)中央アジアに広まった東方教会 川口一彦
中央アジアは、草原の道とシルクロードの道が重なり、東西南北をつなぐ中継点でした。そのために多くの民族や商人たちが行き交いました。交易をしていたソグド人といわれる人たちは、この所で起きていったといわれています。
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新・景教のたどった道(11)東方教会の歴史小年表と地図 川口一彦
旧約時代のイスラエル民族がアジア各地に離散し、主な祭りに母国に帰還する。紀元前5頃、メシアの降誕に東方ペルシアからの博士たちがメシアを礼拝し、帰国してメシアの降誕を伝え広める。マタイの福音書10章6節、イスラエルの失われた家への宣教。
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新・景教のたどった道(10)東方教会の特徴 川口一彦
紀元後、ローマ帝国領のユダヤから多くのメシア信仰者たちが迫害を逃れて東方に向かったため、信徒たちが増えていきました。一方、ペルシア帝国内では、皇帝やゾロアスター教徒からの迫害や大虐殺によって多くが殉教し、背教も起きました。
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新・景教のたどった道(9)東方教会の本拠地、エデッサに宣教 川口一彦
『教会史』を書いたキリスト教初期の人物にエウセビオス(260?~340?)がいます。その中で、シリア北部にあるオスロエネ王国の首都エデッサに派遣されて宣教した、70人の弟子の一人アダイあるいはタダイについて、次のように記しています。
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新・景教のたどった道(8)西アジアから東方に福音が広がる 川口一彦
紀元1~2世紀の西アジアに福音が広まった要因は、散らされたイスラエルの離散の民の存在が大きかったといえます。アッシリア帝国による北イスラエルやバビロン帝国による南ユダ王国の崩壊と捕囚、離散によって、イスラエルの民は世界に散らされました。
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新・景教のたどった道(7)シルクロード、マリンロード、ステップロードはバイブル・メシアロード 川口一彦
ユーラシアの東西交流の道は、絹の交易で知られるシルクロード、海沿いの道で知られるマリンロード、北方の遊牧民の草原を駆け巡ったステップロード(草原の道)があり、さまざまな民族や交易で盛んな交流がありました。
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新・景教のたどった道(6)大秦景教の先駆者 川口一彦
旧約の民の多くが待望していたメシアの降誕によって、新しいことが起きていきました。世界に散らされたイスラエルの民たちは離散した所で会堂を建て、聖書を読み、メシア信仰を抱きつつ待っていました。
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新・景教のたどった道(5)大秦景教の名称について 川口一彦
景教の名称は紀元後745年に「波斯(ペルシア)教」から「大秦」に改名したときに付けられたと考えられます。それまではシリア、ペルシアからシルクロードを通って中央アジアを経て敦煌に入り、都・長安に来唐したことから会堂を波斯胡寺としていました。
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新・景教のたどった道(4)景教研究の支援者 川口一彦
私の景教研究の支援者は、イーグレープ社長の穂森宏之氏です。退職されて出版社の「イーグレープ」を創立されたお話を聞き、青表紙の『シルクロードを東に向かったキリスト教 景教』を出版するように導かれました。それが2002年8月1日のことでした。
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新・景教のたどった道(3)景教はどこから来たのか 川口一彦
635年に初代宣教師として中国の都・長安に宣教にやってきた阿羅本について、中国の史書『唐會要』巻49には「波斯(ペルシャ)僧阿羅本」とあり、景教碑には大秦国の阿羅本と書かれています。
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新・景教のたどった道(2)私と景教との出会い 川口一彦
私と景教との出会いは、名古屋を中心に1985年に発会した東海聖句書道会の初期の展覧会に景教碑の拓本が飾られ、その一つ一つの漢字に魅了されたときからでした。一字一字をよくよく見ると、唐代の優れた書風で書かれ、「素晴らしい」の一言でした。
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