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聖書で読むシネマ(3)密かなブーム?続々と公開される“キリスト教映画”について考えてみる(2)

2016年12月14日12時29分 執筆者 : 青木保憲 印刷
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「祈りのちから」
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②「未信者用伝道ムービー」

日本のクリスチャンが劇場に足を運び、友人を映画に誘う最も大きな要因がこれ。つまり映画を伝道のツールとみなし、教会に来なくても、牧師の説教を聞かなくても、この映画で信仰に対する目覚めを体験できることを願うことになる。

近年公開のもので言うと、「天国は、ほんとうにある」「神は死んだのか」「天国からの奇跡」「祈りのちから」がこれに相当する。「ソウル・サーファー」もこれに当てはまる。

しかし気を付けなければならないのは、これらの映画は本国アメリカで製作され、米国人向けに作られているということである。いうなれば、キリスト教系保守派(福音派・ペンテコステ派)が自分たちの信仰を確認するために鑑賞するということを前提とされているということである。

そうなると、日本の私たちとの間に乖離(かいり)が生じていることになる。日本では「伝道用」とはならず、むしろ「極端な宗教映画」と捉えられてしまう危険が生じる。その中でもとびぬけて物議を醸すのが「神は死んだのか」である。

試しにヤフーや各映画サイトのレビューをご覧いただきたい。そこでコメントされている内容は、日米で全く異なる。キリスト教に興味関心を持って、教会へ通い始め、洗礼を受けようとまで思っている方なら「いい映画」と思えるだろうが、一般の方々はそうではない。むしろこれを見ることで、人々はキリスト教に一歩退いてしまう結果となっている。

私が毎週楽しみにして聞いているラジオの映画評論コーナーがある。「ライムスター宇多丸のシネマハスラー」である。毎週1本映画を決めて、それについてDJの宇多丸が30分程度しゃべりまくるというコーナーだが、2012年6月30日の回では、「ソウル・サーファー」が取り上げられていた(動画はこちら)。

16分30秒あたりからお聞きくださると分かるが、「あまりにもキリスト教色が強く、優等生的な物語過ぎて、自分とは違う人たちだなと思ってしまう」ということが語られていた。これは日本人が皆、この手のキリスト教宗教映画に対して抱くイメージであると筆者は考えている。クリスチャンはこの感想を真摯(しんし)に受け止めるべきである。一聴に値する。

しかし見方を変えて、これらを教会の方向けに上映するというのなら大いに賛成である。つまり、米国の観客と同じ立場かそれに近い立場でメッセージを受け止められる方に向けて上映されるなら、大いに感動があるだろう。

映画の作りは一般のレベルであるし、物語もクリスチャンが悩むさまざまな問題を取り上げている。そういった意味での私のベストは「祈りのちから」である。これを見た後、祈祷会で熱く祈りたいと願うクリスチャンは多くおられることだろう。「神は死んだのか」も同様。ラストのゴスペルコンサートはかっこいいし、創造論を否定する人たちの深層心理にまで迫る内容は、聖書を信じている者であれば納得して受け止められる。

③「キリスト教新解釈型ムービー」

自分たちの興味関心から、正史をアレンジしたり解釈をゆがめたりすることで、皆がよく知っている物語に新鮮味を加えようとする手法を採用していることが多い。ハリウッド発の超大作(「ノア 約束の舟」「エクソダス」)はどちらかというとこれに分類される。最も有名であり物議を醸したのは、奇しくも『沈黙』を映画化するマーティン・スコセッシ監督が1988年に発表した「最後の誘惑」である。

2014年の「ノア」や翌年の「エクソダス」を、②「未信者用伝道ムービー」として見に行った方は多くおられるのではないだろうか? そして見終わって大いに戸惑いを覚えられたことだろう。

この手の映画は気を付けなければならない。①「キリスト教追体験型ムービー」だと思って行くと、見事に足元を救われる。なぜなら、これまた米国で作られていることが主な要因だが、作家性の高い監督は、従来の「聖書物語」に対して私的解釈を加えたり、今までとは異なった視点から描くことで、観客の世界観に挑戦し続けることを目的とする場合が多いからである。

そういった意味で、今回の「沈黙」も要注意である。そもそも遠藤周作の原作自体、キリスト教関係者が諸手を挙げて喜ぶような内容ではない。まして、監督がスコセッシである。一映画ファンとしては大いに期待するし、神学的な視点から見るならとても興味を惹(ひ)かれる。だが、2016年の3本のような「キリスト教映画」を期待しているとしたら、それは大いに気を付けるべきだと思う。

その後、使徒パウロの生涯を「Xメンシリーズ」のヒュー・ジャックマン主演で映画化することにもなっている。これに期待するクリスチャンは多い。私もヒューのパウロがスクリーンで動くさまを見てみたい。しかし、これを ① や ② として見ることは期待しないだろう。

「キリスト教映画レイティング」をしてみては?

ここで1つ大胆な提案をしてみたい。映画には「レイティング」という観賞用のコード(規制)がある。例えばR指定だと18歳以上、PG12だと12歳までは親の指導の下に鑑賞しなさい、など。映倫がこの規制を行っている。

これほど大々的でなくてもいいので、少なくともキリスト教書店やメディア関係者が「キリスト教映画」を見て、例えば上記3カテゴリーのどれに当たるのかという、「キリスト教的レイティング」を行ってはいかがだろうか? こんな具合である。

聖書追体験型伝道用が「Bible」からB指定
伝道型が「Evangelicals」からE指定
新解釈型が「New」からN指定

もちろん各誌、各書店によってレイティングに違いがあってもいい。いや、むしろあった方が面白い。例えば、スコセッシの「沈黙」は、カトリック新聞では「伝道用(E指定)」、本紙では「新解釈型(N指定)」などのように、宣伝を兼ねて視聴対象者へ訴えるようなことをするのはいかがだろうか?

半ばその映画を盛り上げるため、半ばお互いの視点の違いを明確にするため、そしてちょっとした「遊び心」で・・・。

いずれにせよ、映画というメディアは、音楽と同様、とても間口が広く、うまく用いることで、キリスト教を日本に浸透させるのに適したツールであることは間違いない。一映画ファンとして、一牧師、一信者として、これからも面白い映画が公開することを、今日も神に祈る者である。

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青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)、現在は大阪城東福音教会(ペンテコステ派)牧師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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